2008年02月03日

国策だ何だとやっているのも今のうちだ

今の政治家・官僚どもは、古代中国の歴史を学んだ事がないのだろうか?

宮城谷昌光さんの作品には、数々の義人も多数出てくるが、それとともに、自らの繁栄だけを希求し、不義を行う輩が相当数出てくる。
例えば『奇貨居くべし』では呂不韋が秦の宰相となり、理想国家を作ろうと努力しているのに、その努力を色眼鏡どころが泥眼鏡で眺め、引退させようと謀略をおこし、実際に引退させてしまう。始皇帝も邪曲だが、その臣も邪曲だ。

これは現代で言ういわば国策である。
それが天の下に正しい行動だという認識で行っている訳ではなく、自らの保身のために必要であるという認識に基づいている。
国策を画策している輩の思考は、そんな所だろう。

何を言っても無駄である。
自分で邪曲であることに気付かない。
自覚が無いので、どうしようもない。
自覚はあるのかもしれない。開き直っているのだろう。
ただし、彼等は分っていない。
天がその非道を改める時が来ることを。
それにより、自らがどのような顛末に至るかを。

彼等は民を侮っている。土民だとあざけり笑っている。
その土民がいずれ大蜂起するとも知らずに。


彼等は元々の本質が悪霊なのだ。死んでも直らない。直るはずがない。
宮城谷さんの作品を読んでいると、全く現代を描いているように思えて来る。

posted by 青葉隼人 at 13:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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