2007年12月25日

“希望は、崩壊”

今の生活に満足している人にとって、「世の中がメチャクチャになれば面白いのに」という私の願望が、受入れられないことは容易に想像できる。
場合によっては危険思想と捉えられるのかもしれない。
家があり、仕事があり、家庭があり、子供があり、安定収入があり、車があり、友人があり……。そんな人にとって、変化は忌むべきものであるに違いない。今の体制の安泰を計りたい現体制維持派は、「危険思想」を消滅させるべくいろいろな手段を取って来ただろうし、これからも取ってくると思われる。


赤木智弘なるフリーターの「丸山眞男」をひっぱたきたい――31歳、フリーター。希望は、戦争。」という記事を読んだ。
読み込んだ訳ではないので詳しく内容は覚えてないが、頷けるところが多々あった。
最近は本も出版したようで、彼はワーキングプアからの脱却に成功できたのではないだろうか。
もし赤木智弘氏の願望がワーキングプアからの脱却に焦点があるのであれば、彼は今の社会システムでの成功者と言えるだろう。つまりその場合、目的を達成できたので彼は訴えを停止する。


私は赤木智弘氏とは環境が随分異なる。フリーターではないし、親元を離れて一人暮らしをしており、経済状態は良好とはいえないものの一応、生活はできている。赤木智弘氏から見れば、私も「ひっぱたきたいリスト」に入るのかもしれない。


私の願望はお金ではなく(もちろん、お金は好きだが)、現代社会がメチャクチャになって、存在の本質がそのまま伸ばせる社会システムが確立すること、にある。無責任な言い方をしているのは百も承知だが、その方が「面白い」。個人所得の問題ではない。面白いかどうか。それが本音だ。何が面白いのか分らない人が大多数なことは承知の上で、そんな人達にとっては大迷惑であろうことは承知の上で、今の社会がメチャクチャに壊れた方が面白い。それが正直な私の感想だ。


「今の社会」と一口で言っているが、正直な所、「今の社会」を論じられるほど、私には「今の社会」が分っていない。ただ前述したように、選挙で政治家が決まるシステムは嫌だ。受験のための学校は嫌だ。川にコンクリートが張られているのが嫌だ。
すべて利によって動いているのではないのか。川にコンクリートなど本当に必要な工事なのか。必要な場所もあるのかもしれない。ならば今の護岸工事は全て必要だったのか。必要でない場所は、全く無かったのか。もし必要があったのだとすれば、それは誰のために必要だったのか。住人ではなく業者や政治家や役所など、一部の人間にとって必要なだけだったのではないのか。
それを容認してしまう今の社会システムを、本当に維持する必要があるのか。
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2007年12月19日

バトル・ロワイアル

『バトル・ロワイアル』という映画があった。
中学生の1クラス40人程の生徒が突然無人島に連れられて、最後の一人になるまで殺し合うよう言い渡される、という設定の映画だ。

この映画は面白いと思った。別に殺し合いが面白い訳ではない。
生徒が極限状態に陥ることによって、生徒の個性というべきものが発現するところ、そこに面白さを感じた。

最初は、真面目な優等生や不良学生など、現実にありそうな生徒が集ったクラスだ。この生徒たちは、このまま行けば学校を卒業して、あるものは会社に就職し、あるものは進学し、あるものは自営業を営み、あるものは結婚し家庭を持ち……と、普通の社会人として一生を終える人生を歩む事が連想される。

ところが、「最後の一人になるまで殺し合え」という極限状況に追込まれることによって、生徒一人一人の個性とでもいうべきものが発揮されてくる。ある生徒は「こんなの馬鹿げている」と訴え、ある生徒はそんな訴えをしている生徒を撃ち殺し、ある生徒は今の極限状態から脱出するべく、自分の頭で脱出方法を考え計画を実行していく。ある生徒はこの状況に耐えられなくなり自殺する。


生徒は非常に理不尽な状況に強制的に追込まれるが、それによって、普通の生涯を終えるであろう生徒の人生は、個性(と言って良いのかどうかわからないが)が発揮されたものに変貌している。
私は語弊はあるかかもしれないが、本当の意味で「生きた」と言えるのは、普通の社会で一生を終える人生よりも、殺し合いをした人生だったのではないかと、そのように感じる。


今の学校の教育は受験のための勉強で、生徒の個性、存在の本質を開花させるような形態になっていないところに、大きな疑問を感じる。良い大学に進学して良い会社に就職するために学校はあるように感じる。
しかし、それを望む生徒もいるかもしれないが、それを望まない生徒もいる。しかし、今の社会システムに組み込まれた学校というものは、そんなことは望まない生徒を認めようとしない風潮がある。またそんな子供を認めようとしない社会システムがある。


親も「勉強しなさい」と小言を言う。受験のための勉強のことを言っている。しかし、それが進学以外に何の役に立つのだろうか。外国人に伝わらない英語の文法を学んで受験以外の何の役に立つのか。いやそもそも、なぜ進学するために必要のない勉強をする必要があるのか。勉強というのは、その子供が自分のインスピレーションやイマジネーションを高めることに主眼を置くべきで、それしかないのではないのだろうか。


子供の、人間の一人一人が持っている特性を伸ばそうとしない今の社会システムの中で生きていて、本当の意味で「生きている」と言えるのか? 私は決して『バトル・ロワイアル』の世界を望んでいる訳ではないが、存在の本質を開花させることができる社会システムは望んでいる。そしてそのために今の社会システムはメチャクチャになって壊れればいいのに、と感じている。
posted by 青葉隼人 at 14:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月18日

世の中がメチャクチャになれば面白いのに(1)

小学生の頃に知った1999年の世界滅亡の予言を「どんなことが起るのか?」と半分期待していた私にとって、阪神大震災は心が躍る事件だった──こんなことを言うと、猛烈なパッシング、批判を受けるに違いない。


正直に言って、攻撃を受けるのは困る。勝てる見込みがない。この発言は、全面的に私が悪いと、自分でも“考える”。震災後の状況を全く知らないし、被害者がどれほどの苦労をされたのか、想像がつかない。


自分で自分のことを、人の心の痛みが全く分らない鬼だ、と思ったことがある。
当時、大嫌いだった血縁者が事故で死にそうになった時は、心の底から嬉しかった。


ただ、私は血も涙も無い快楽殺戮者ではない。
フォローになるかどうか分らないが、強く心に残った事故があった。

九州で酔っぱらい運転の車が、家族5人を乗せた車に、後ろからぶつかった事故があった。橋の上での衝突で、家族の車は川に転落。親2人は助かり、3人の子供は溺れ死んだ。二人の親は川底に潜んだ子供の救出するべく、三度川に潜ったそうだ。
この事故を知って私は「酒を飲んで運転することは絶対にしない」と決めた。
三人の子供は、世の飲酒運転者を撲滅するために天から来た使者なのだ、と解釈した。そしてそのメッセージは、私の心に届いた。


話を戻すが、人前では体裁を取り繕っていても、実際は阪神大震災で何人が亡くなってもスマトラ沖地震で何万人が死んでも、「可哀想に」なんて感覚は、私には無い。これが正直な本音だ。むしろ、もっととんでもないことが起きて、今の社会がメチャクチャになってしまえば面白いのに、と思っている。


そんな、心の奥に隠していた闇の部分を、インターネットで解放しても良いのでは?という気分になった。
これなら仮に反発されても自分の感じることを時間をかけて言語化できるし、話が噛み合なければスルーもできる。卑怯なことをしていると考えるが、卑怯だとは思ってない。もともと卑怯者で生きて来た私だ。ホンネをネットにおいて解放していくことは進歩ではないかと思う。

「考える」と「思う・感じる」は意図して使い分けている。頭で考えたことはタテマエで、心で思う・感じることはホンネであると捉えて頂ければいい。


今の世の中は便利だ。蛇口をひねれば水が出る。冬は暖かくできるし、夏は冷たくできる。食べ物も24時間手に入るし、郵便物も確実に届く。とても便利だ。
世の中がめちゃくちゃになったら、水も食べ物も手に入らないかもしれない。夏は暑く冬は冷たい。それはとても辛い。しかし、それでも世の中がめちゃくちゃになれば面白いのに、と思う。


とりとめのないまま書き進めるが、今の政治について、何をやっているのか全く関心がない。民主党、自民党、共産党、社会党、なんていくつも“党”なるものがあるらしいが、その違いが本当に分らないし、関心もない。必要があるのかどうかも分らない。いや、自分にとっては必要ない。そう思っている。

選挙にも全く関心が無い。投票にいったことも一度もない。車で「お願いします!お願いします!」とスピーカーでどなりちらして、票を入れてくれ、と回っている者に政治家が勤まる訳が無い。そう感じている。
posted by 青葉隼人 at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする